代表者コメント

代表   奥村 信隆

 

=職歴=

昭和48年4月(1973年)

 西日本相互銀行(現 西日本シティ銀行)入行

 営業店7ヶ店 本部2部署 勤務

 営業店支店長 事務サービス室センター長等拝命

平成13年8月(2001年)〜平成15年7月(2003年) 

 九州山口経済連合会(現(一社)九州経済連合会)出向

令和元年5月(2019年)

 博多奥村 商標登録 代表として就任 

令和4年(2022年)7月 西日本シティ銀行定年退職

 

 代表 奥村信隆は、上洲﨑町(現博多区須崎町)の本家、奥村利平の直系で、利平は安政元年(1854年)奥村本店ヤマタ醤油を創業しました。併せて一時期、筑紫銀行を創設、銀行業も営んでいました。その後、徳太郎、栄太郎と継承され、代表の叔父雄太郎と共に父、隆三郎が跡継ぎとして引続き上洲﨑町で醤油製造販売業を家業としていました。しかしながら、昭和20年の米軍による福岡大空襲で工場、屋敷、蔵は焼失、奥村の家族も犠牲となりました。そのような事情もあり昭和24年、拠点を現博多区美野島に移しました。(父隆三郎は営業拠点として上洲﨑町に残る)その後、叔父、雄太郎の死去に伴い父、隆三郎が事業を引き継ぎました。このような環境の中、私は生まれ育った上洲﨑町の事業所はもちろん、美野島の工場敷地内で遊んだり、夏休み、冬休み等は醤油の瓶詰を手伝ったり、将来は醤油の仕事に携わるんだと、ごく自然に思っていました。しかし、数年後、父が体調を壊すなどして事業活動が厳しくなり、昭和52年親類に営業権を譲渡し、断腸の思いで長い歴史に終止符を打つこととなりました。よって、私の家業継承の道は閉ざされ、学校卒業後、地元博多に本店のある地方銀行に就職。以降50年間、微力ながらも地域経済発展のお役に立てればと努力してまいりました。

 

 転機が訪れたのは、中学卒業45周年還暦同窓会の幹事打ち上げの際、友人との昔話から、背中を押され、醤油復活のエネルギーが再燃し、醤油復活のプロジェクトを立ち上げる運びとなりました。

 

 定年後、穏やかな年金暮らしも良いが、もう一度子供の頃の情熱をもってやり遂げることは自分のためであると共に、先祖も喜んでくれると思い、また、地元の奥村の醤油の味を懐かしく思っていらっしゃる方も多くおられます。さらに、まだ博多の醤油の味をご存じでない方にも是非知っていただきたいと思う気持ちです。

 

 昔ながらの博多の醤油はアミノ酸を利用する手法で製造されており、まろやかな口当たりとコクが特徴で¨旨味¨があります。また、素材を生かすことが出来ることがおいしさの秘密です。どうが、復活した奥村家伝統の味を是非ともご賞味下さい。

 

 ロゴの「博多奥村」の文字は、私が漫画「博多っ子純情」の大ファンであることから著者の長谷川法世先生に是非にとお願いし、「昔ながらの博多の伝統文化、味の応援をします。」とご厚意で書いていただきました。 

代表者生家が昭和50年代前半に使用していたラベル